調査:ミャンマー 01

ヤンゴン、マンダレー

2015.10.24 - 10.29

アウン・サン・スー・チー氏のNDLが政権交代を果たした歴史的総選挙が実施される直前にキュレトリアル・チームはミャンマーを訪問しました。選挙車両が道に並び、2週間後の総選挙に向けてヤンゴン市内も地方のマンダレーも活気に溢れていたなか、キュレーター達は、政治的変化への希望と不安を作家たちから垣間見ました。

  • マーヴ・エスピナ
  • 椿 玲子
  • 片岡 真実
  • 米田 尚輝

ティン・リン (1966 –)

2015.10.24

椿 玲子

ティン・リン(Htein Lin)は、1988年の反軍事政権学生デモのリーダーのひとりで、ミャンマーにおけるパフォーマンスを最初に行った作家のひとり。インドや中国との国境に逃げた後(1988-1992)、軍部に捕まって拷問を受け、1996年からはその経験を血のような赤い絵の具を上半身に塗るパフォーマンスで表現します。そのために刑務所に収容された間(1998-2004)も、囚人服の上に注射器などで描いた300点もの反政府的な絵画《囚人の自画像》(Prison Paintings)や政治的な新聞を制作し続け、それらを枕の中やベッドの下、掘った穴などに隠し、全てを刑務所外に送ることに成功します。出所後は、ヨーロッパ人女性と結婚してロンドンで過ごし、2012年に民主化されたミャンマーに戻ります。その頃から、約5000人も居たという受刑者の中から460人の立体手形と当時の体験談を集めた《手の展示》(A Show of Hands)や、1999年に刑務所内で石鹸を彫刻化した《石鹸プロジェクト》(Soap Blocked)の発展形も制作し、精力的に発表活動を行っています。民主化と自由な表現の難しさ、ティン・リンの不屈の精神を感じました。

ニュー・ゼロ・アート・スペース

2015.10.25

椿 玲子

アイ・コー(Aye Ko)は、1988年の反軍事政権学生デモに参加し、刑務所にも入った後、1990年代後半からパフォーマンスアーティストとして国際的に有名になります。アイ・コーが2008年に設立したニュー・ゼロ・アート・スペース(New Zero Art Space)には、展示スペース、作家スタジオ、レジデンス、キッチン、図書館があります。国内で10万人にもなるという内戦孤児のための授業や慈善金集めなどを行う他、一般市民やアーティスト向けのワークショップ、レジデンスも行っています。ワークショップの後では、必ずその集大成として展覧会を行うのも特徴で、韓国、日本との交流会を既に行っており、ドイツとの交流展(2016)も予定しているとのこと。現在、ニュー・ゼロ・アート・スペースが力を入れているのは、面白くて進化した工芸の創造を目指す工芸助成プロジェクトと、日本のKDDIも協賛を行う子供対象のアート教育プロジェクトです。「外資に頼るのではなく、ミャンマー人が自分達で現代美術を盛り上げる必要がある」というアイ・コーの活動に期待しています。

ポー・ポー (1957 –)

2015.10.26

米田 尚輝

1970年代後半から独学で美術活動を始めたミャンマーを代表するアーティスト。仏教哲学に関心を寄せていたポー・ポー(Po Po)は、その思考を美術実践に積極的に組み込んだ幾何学的な抽象絵画を1980年代に集中的に制作しています。1982年から1986年にかけては「ガンゴー・ヴィレッジ」展(Gangaw Village Art Exhibition)にも参加しており、ガンゴー・ヴィレッジ・アート・グループ(Gangaw Village Art Group)の主要メンバーのひとりとして活躍しました。しかしポー・ポーの実践は、1990年代以降は絵画よりもむしろ、コンセプチュアルアートあるいはパフォーマンスの領域に移行していきます。近年では第8回アジア・パシフィック・トリエンナーレ(The 8th Asia Pacific Triennale of Contemporary Art、2015-2016)に参加するなど活動の場を国際的に広げており、ミャンマーの現代美術状況のなかでもっとも影響力のあるアーティストのひとりでしょう。その一方で、ミャンマー国内の美術に関する情報量の少なさを嘆き、自ら美術評論などの執筆活動も旺盛に行っており、2005年には著書『コンセプチュアルアート宣言』(Conceptual Art Manifesto)を刊行しています。

アウン・ミン (1946 –)

2015.10.26

米田 尚輝

独学で美術を学び、ガンゴー・ヴィレッジ・アート・グループの中心的メンバーのひとりとして活躍したアーティスト。ミャンマーの文字やダンスをモティーフとした抽象絵画でよく知られていますが、1992年頃からパフォーマンスやインスタレーションなどの新しい表現形式をいちはやく試みました。軍事政権下のミャンマーのアーティストにとって検閲はきわめて深刻な問題で、とりわけ絵画はメッセージが明瞭であるがゆえ検閲に引っかかりやすかったと言います。アウン・ミン(Aung Myint)だけでなく、その他のアーティストたちの何人かがパフォーマンスという領域に移行した背景には、ミャンマーの政治体制が間接的に関係していたと言えるでしょう。また、「ガンゴー・ヴィレッジ」展を継続的に開催するにあたり、アウン・ミンはミャンマーにおける美術展示会場の不足を目の当たりにしました。そこで彼は、1989年にはガンゴー・ヴィレッジ・アート・グループの友人たちとインヤ・ギャラリー(Inya Gallery)を立ち上げ、今日でも多くのアーティストたちがこのギャラリーに集っています。

スー・ミン・テイン (1970 –)

2015.10.27

片岡 真実

パフォーマンスアーティストのスー・ミン・テイン(Suu Mying Thein)は、ヤンゴンに次ぐミャンマー第二の都市マンダレーで、アリン・ダガール美術学校(Alin DaGar Art School)を1992年頃に開校。美術をより自由に学ぶために自ら美術学校を創設したそうです。彼自身は北部のカチン州に生まれ、マンダレーの芸術大学で絵画と彫刻を学んでいます。学校では現在は5~35歳の年代層が学んでおり、海外の子供との交流展も実施しています。パフォーマンスアートとの出会いは、2001年にNIPAF(日本国際パフォーマンスアートフェスティバル|主宰:霜田誠二)がマンダレーに来たこと。さまざまな規制や検があるなかで、「身体を使った表現であるパフォーマンスアートは最適のメディアだ」と考えたそうです。2012年、カチン州少数民族と軍事政府の間の内戦が続いていたときには、単独でパフォーマンスを行い、拘束されたことも。マンダレーでパフォーマンスをしているアーティストは多くはないが、スー・ミン・テインはそのうちのひとり。

ルドゥ・ライブラリー&
アーカイヴ

2015.10.27

片岡 真実

2002年創設のルドゥ・ライブラリー&アーカイブ(Ludu Library and Archive)には、第二次大戦後のミャンマーの軍事政権下、反体制派のジャーナリストとして活動したルドゥ・ダウ・アマール(Ludu Daw Amar)とルドゥ・ウー・フラ(Ludu U Hla)のコレクションと寄贈品が集められています。ミャンマーにおける学術研究、ジャーナリズム、アクティビズムに捧げられたコレクションで、約50,000冊の蔵書をもつ非登録のプライベート・ライブラリー。「ルドゥ」とは「人民」を意味するビルマ語で、ウー・フラが1945年に創刊した『ルドゥ・ジャーナル』(人民のジャーナル、People’s Journal、隔月刊)に由来します。彼は1961年には日本の新聞社から招待されて来日し、詩人の高見順などとも親交があったそうです。ミャンマーでは仏教的な伝統から功徳の文化がありますが、数度にわたる逮捕拘束や雑誌廃刊を経験して、彼らは寺院への寄付のかわりに人々のための図書館を作ったのです。現在の館長は息子のニー・プー・レー氏(Nyi Pu Lay)。

ピョー・チー (1977 –)

2015.10.27

片岡 真実

ピョー・チー(Phyoe Kyi)は、ミャンマー中部にある人口20万人ほどの街タウンジーで生まれ、現在もそこで活動するパフォーマンス、インスタレーション・アーティスト。2003年に「ミングォン現代美術館」(Mingun Museum of Contemporary Art)というワークショップ・プロジェクトを開始し、第5回目の「Museum Project #5」をアーティストのワー・ヌ(Wah Nu)とトゥン・ウィン・アウン(Tun Win Aung)夫妻と実施しました。ミングォンは、マンダレーからエーヤワディー川を10キロほど北上したところにある都市。ビルマ最大の鐘や真っ白のパゴダ、シンピューメパゴダで知られています。1990年代、ヤンゴンのアーティストがNIPAFに参加していたのを見たのが、ピョー・チーのパフォーマンスの初体験。2003年にはヤンゴンやマンダレーのアーティストが、検閲の少ないミングォンではじめてパフォーマンスをやりました。2005年にはミングォンでNIPAFが開催され、彼はタキンの衣装から、子供のような衣装へ変容していく《Once upon a time, there was nothing》を行いました。しゃぼん玉は、触るとすぐに壊れてしまう脆弱さの象徴として使っています。また、2005年には、第3回福岡アジア美術トリエンナーレにも参加。2015年には、アーティスト4名と地元の村民が参加した第1回ミングォン・ビエンナーレ(The 1st Mingun Biennale)を主催しています。

マウン・デイ (1979 –)

2015.10.28

椿 玲子

マウン・デイ(Maung Day)は詩人、アーティスト、社会活動家で、グラフィックデザインも行います。チュラーロンコーン大学(Chulalongkorn University)の国際開発プログラム修士を取得するために2008年にタイのバンコクに移住し、最近までETA (Eco-village Transition Asia)で生産能力造成教育を行っていたそうです。マウン・デイが現代美術を知ったのは2000年頃で、アメリカ大使館の図書館などを通じてでした。検閲をすり抜けられる手法として盛んになったパフォーマンスをマウン・デイも行い、パフォーマンスアートのフェスティバル、ビヨンド・プレッシャー(Beyond Pressure)の設立にも関わりました。2010年からは詩人と恊働し、インスタレーションも行っています。またフェルトペンによるドローイングは仏教や神話のイメージを再定義するものであり、詩はメタファーやイメージと遊ぶために書くそうです。「ミャンマーのアート・シーンについてグローバルな視点で語れるコミュニティが必要。NGOとアートを融合させ、NGOが作家の活動をより援助し、作家もより社会に働きかけられるシーンを作りたい」と語るマウン・デイの活動に期待します。

ガンゴー・ヴィレッジ・
アート・グループ
(1979 –)

米田 尚輝

ラングーン文理大学(現・ヤンゴン大学)の学生たち約20名が中心となって形成されたミャンマーのアーティストグループ。グループは1979年に開催された「ガンゴー・ヴィレッジ」展を契機に結成され、「ガンゴー・ヴィレッジ」展は民主化運動の影響による数年間の中断を除いて今日まで継続的に開催されています。「ガンゴー」(和名:セイロンテツボク)とはヤンゴン大学構内に植えられた常緑樹のことで、ヤンゴン大学を象徴する植物であり、グループのロゴマークにも採用されています。グループの主眼は、アーティストとして生きていくための環境が整備されていなかったミャンマーにおいて、相互に支え合うことのできるアーティスト共同体を形成することにありました。初期のメンバーには、チー・ミン・ソー(Kyee Myintt Saw)、アウン・ミン、サン・ミン(San Minn)といったミャンマー現代美術の礎となったアーティストたち、そして今日でも国際的な舞台で活躍しているポー・ポーらがいました。

Special Thanks

アイ・コー| Aye Ko
アウン・ミャ・ティ | Aung Myat Htay
アウン・ミン | Aung Myint
アウン・ミン・ウー | Aung Myint Oo
春日孝之
キン・ゾー・ラ | Khin Zaw Latt
サンダー・アウン | Sandar Aung
スー・ミン・テイン | Suu Myint Thein
タイタール | Thyitar
タン・テイ | Than Htay
チー・ウィン | Kyi Wynn
チョー・チョー・アウン | Cho Cho Aung
ティーハザン | Thihazan

ティン・リン | Htein Lin
ドー・ティン・ティン | Daw Tint Tint
ナタリー・ジョンストン | Nathalie Johnston
ニー・プー・レイ | Nyi Pu Lay
ピュー・イ・テイン | Phyu Ei Thein
ピョー・チー| Phyoe Kyi
ポー・ポー | Po Po
ポン・ミャ・ミン | Phone Myint Min
マウン・デイ | Maung Day
ミン・テイン・スン | Min Thein Sung
ムラット・ロン・トゥワン | Mrat Lunn Htwann
メイ・ピュー・テット | May Phue Thet

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