SEAプロジェクト プレイベント
日本は東南アジアの現代美術にいかに関わってきたのか? シンポジウム パネルディスカッション(2/4)

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片岡

霜田さんはアーティストという立場でかかわっていらっしゃるので、少し視点が違うかもしれません。展覧会の調査のために、昨年ASEAN各地を訪れ、アーティストやアートスペースを運営している人、80年代、90年代に重要な役割を果たした方々にお会いしたなかで、多くのパフォーマンスアーティストに出会いました。パフォーマンスアートに最初に触れたきっかけは何だったのかと聞くと、10人に9人ぐらいが「セイジ・シモダ」と答えるのを聞いて、霜田さんが、パフォーマンスアートの概念さえなかったところに火をつけてきて、その灯火が今も続いているということを実感しました。ミャンマーでも政治体制が変わろうとしているなかで、より表立って、オフィシャルな場所で彼らがパフォーマンスをできるようになっているのか等、1996年から20年ご覧になってきて、何らかの状況の変化を観察されていますでしょうか。

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霜田

僕はアーティストで、何でもやるのがアーティストというふうに思っているんですね。それで、パフォーマンスアートという表現を武器のように持つ、違う表現の方法を持つということは、どこのアーティストにとってみても、豊かになることだと思います。今はインターネットがありますけど、当時、アジアや東南アジアでは、僕のように自由にあちこち飛び歩いている人が持ってくる情報は、その人たちにとってはずっと新鮮で、映像を見せたり話をしたりするだけで、彼ら自身でその必要性をどんどん見出していった。もちろん、お金から縁遠いものなので、やっぱり絵に戻っていくとか、そういう人たちもいっぱいいましたが。だけど、先程言ったように、アーティストが持っている純粋なスピリットに一番近いのはパフォーマンスアートだと言うアーティストたちも確かに増えてきているので、そういう人たちと一緒に、何か次のステップをやれればいいなと思っています。

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片岡

先程、映像を見せていただいたベトナムのチャン・ルーン (Tran Luong)、彼は最近、スウェーデンのウメオ大学(Umeå University)の美術館(Bildmuseet)で開催されたベトナム現代アートの展覧会「Mien Meo Mieng / Contemporary Art from Vietnam」展 (2015年)をキュレーションして、高く評価をされたと聞きました。アーティストであり、キュレーターであり、そして何らかのオーガナイザーでありという、ひとりの人が複数の役割を果たしているのも特徴かなと思いました。可能性はとても開かれているような気がしますね。

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霜田

日本でもそうですが、パフォーマンスのイベントや展覧会をどのように組織して企画できるのかを知っているのはやはりアーティストなんですよね。美術館というスペースはいろんな可能性があるけど、結局はクラシックコンサートやダンスをやることで終わってしまう。それが、アジアでは企画をしているのはみんなアーティストたちですね。

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「RUN & LEARN」ワークショップ「Making Space: We Are Where We Aren’t」展会場風景(クアラルンプール)
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片岡

古市さんは2014年度から若いキュレーターや作家から企画を集めて、それをブラッシュアップしていくワークショップ「Run & Learn」を実施されていますが、その企画にあがってくるテーマや彼らの関心事で、何か「新しいぞ」とか、「昔とちょっとこの辺は違うな」みたいな、そんな発見はあったりしますか。

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古市

やはりそれぞれの国の状況が今でも違う――ASEANは、私が仕事を始めた当初は6ヶ国(インドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、マレーシア)だったのが、今は10ヶ国になり、後からASEANに加盟した国(ベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジア)と先行ASEAN諸国では背景が違うので、発想する展覧会のテーマも違う。つまり、社会的・政治的なことも含めながら考える人たちもいるし、コマーシャル的な要素が勝っているようなところではそれに合わせる企画が出てくる。変わってきているというよりは、各々ばらばらな関心事を、ばらばらしたまま提示するというのが面白いと思っています。「アンダー・コンストラクション―アジア美術の新世代」展Under Construction: New Dimensions of Asian Art、2002–2003年)のときからそうですけど、そうすることによってアジアの状況が見えてくる。それと同じ方向性でやっているのが「Run & Learn」です。

ただ、キュレーターという職業・役割もレベルアップをしていかないと、結局、展覧会をしてもその趣旨がそれぞれの国の人たちに伝わらない。先程、後小路さんから「日本のキュレーターが来て、調査して、展覧会して、搾取する」みたいなお話もありましたが、それぞれの国の観客にどうアクセスして美術を広めるか、という課題にも対応していかないといけない。その部分で、我々はどのような役割を果たしていけるかという点も重要です。一方、設備・制度があってもそこでまだ活躍できていない人たちがいて、今後どうやってキャリアをつくっていくかという課題を持っている……というように、それぞれの地域でそれぞれの人たちが置かれている状況が違うので、それに合わせるかたちで、現状維持ではなくどうやって日本を含めて地域全体としてレベルアップしていけるか、そういう人材育成的なことに関して、我々ができることは何だろうというふうには常に思っています。

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「物語の棲む杜―アセアンの現代美術」展会場風景
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片岡

個別の社会的、歴史的、政治的な背景の違いは、2017年に開催する展覧会をとおして浮き彫りにしたいと考えているところです。1990年にアセアン文化センターで開催された「物語の棲む杜―アセアンの現代美術」展(Narrative Vision in Contemporary ASEAN Art)のテキストで、後小路さんが、ASEANとくくることの妥当性について、当時、それぞれの国がナショナルアイデンティティを求めていて、そこにしか行き着かないというところを、ASEANというくくりでまとめて見ることで、より複雑に交流し合っていた文化的なものが見えてくるのではないかと書かれていました。ASEAN、もしくは東南アジアという枠組み自体も、その妥当性についてこれまでいろいろと議論がされてきたと思いますが、それについては、今、どんなふうにお考えですか。

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後小路

先ほどの私の発表でも、当初ナショナルアイデンティティがメインのトピックであったということをお話ししましたが、実際東南アジアを歩いてみると、国境線というものに縛られない文化の流れや広がり、あるいは国境線の内側にもさまざまな異なる文化があることに気付きます。例えば、マレーシアの若い中国系のアーティストと話をしていて、マレーシアの国民的な女性歌手――マレー系の人ですけれども――のことを話すと、全然名前も知らなくて、でもそのアーティスト自身は、台湾のロックグループの歌に作詞しているという。華僑の広がりとか、イスラムの広がりであるとか、そのような国境を越えた文化の共通性なり広がりというものはあって、見ていかないといけないことだと思います。

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片岡

みなさん、ありがとうございました。2017年の展覧会を企画するにあたり、4名の東南アジアの若い世代のキュレーターも一緒に調査をしています。全員1980年代生まれで、後小路さんが初めてアジアに行った以降に生まれている人たちです。展覧会のタイムフレームとしても、80年代から現代まで、この近過去を歴史的に見ていく予定で、その時代をまさに生きてきたジェネレーションという立ち位置から、4名に今日のシンポジウムをどんなふうに受け止めたのかを聞いてみたいと思います。

パネルディスカッション(3/4)へ続く

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