調査:マレーシア 02

クアラルンプール

2016.09.27-09.28

クアラルンプールという都市名は、マレー語で「泥の川が合流する」という意味です。雨季に区分される9月末は、突然の通り雨や市街地を貫く川の濁流が印象的でした。約2日間にわたる調査のなかで、世界都市の多様性あふれるエネルギーをあらためて体感すると同時に、クアラルンプールを拠点とする作家たちの話を聞くことができました。

  • オン・ジョリーン
  • 熊倉 晴子
  • 喜田 小百合
  • 片岡 真実
  • 米田 尚輝

はじめに

オン・ジョリーン

マレーシアは、1963年にマラヤ連邦、シンガポール、北ボルネオ、サラワクの連邦として建国されました。その2年後にシンガポールが独立し、マレーシアは現在よく知られているように、ボルネオ半島北部(サバとサラワク)とマレーシア半島南部(マラヤ)の2つの地域による立憲君主制の連邦国家となりました。ただし東西の感情的隔たりは、地理的に2つの地域を隔てている南シナ海より広く深いものです。マレーシアは1957年8月31日のマラヤ連邦が独立した日をナショナル・デーとして祝い続けてきた一方、2010年には、1963年9月16日の現マレーシアの建国を記念するマレーシアの日を国民の休日と宣言しました。

これは、マレーシアの社会的、政治的、文化的構造の底流でわだかまる多くの問題のひとつです。そうした問題は常に繊細で、暴力を伴って表面化することがあります。ソーシャル・エンジニアリングによるうわべだけのたくらみとはそうしたもので、まずは植民地時代のイギリスによって、続いて独立以来政権を握る連立与党によって執り行われてきました。ひとつひとつの政策を拾い上げただけではどれも破滅的に見えるということはありませんが、長年うろこのように重なり合うことで、社会全体の振る舞いへと定着しているのです。私はナシ・ケラブを食べるときに、マレーシアのアーティストのひとりであるイセ(Ise、1972-)の言葉を思い出します。ナシ・ケラブは細かく刻んだハーブや野菜を青い米の上に盛り合わせた料理ですが、食べるときにすべてを混ぜ合わせることでこの料理の「美」を堪能することができると彼は言いました。東南アジアの現代美術への近年の注目度の高さに規定される流行をマレーシアは見逃してきたいうことを意味していますが、その一方でこれはありがたいこととも言えるでしょう。調査する人は知識が浅ければ、より近くまで泳いでくることが求められるからです。

SEAプロジェクトの第1回マレーシア調査では、私も他の3人のイディンペンデント・キュレーターもキュレトリアル・チームには参加していませんでした。美術館のキュレーターと国際交流基金アジアセンターのファシリテーターがサバ、ペナン、クアラルンプールを訪れました。彼らは、地元のアートエコロジーの関係者たちに会いました。――アートコレクティヴのマタハティ(MATAHATI)が中心となって立ち上げたHOMアートトランスや、多分野にまたがるアートパフォーマンスを探求するコレクティヴでもありカンパニーでもあるファイヴ・アーツ・センター(Five Arts Center)を訪れました。ファイヴ・アーツ・センターは、ウォン・ホイ・チョン(Wong Hoy Cheong、1960-)、ヤップ・ソー・ビン(Yap Sau Bin、1974-)、イー・イラン(Yee I-Lann、1971-)などのメディエーターやメンター(師)であったアーティストによって設立されたカンパニー/アーティスト・コレクティヴです。またアートスペースやアートの役割について考える数人の新興のアーティストやキュレーター、たとえば、マレーシア国立美術館のキュレーターのタン・フイ・クーン(Tan Hui Koon)や、サバのDIYパンクコレクティヴ、パンクロック・スラップ(Pangrok Sulap)なども訪ねました。この旅の詳細は第1回調査レポートに掲載されています。

そして2年近く経った後、私たちはマレーシアへ2回目となる調査に旅立つことを決めました。こういった調査では常に自身で体験をするという作業が必要です。マレーシアのアーティストの最終版リストには、キュレーターが訪問していない、まだビエンナーレにも参加したことのないアーティストの名が数多くありました。私たちはリュウ・クンユウ(Liew Kung Yu、1960-)のスタジオを訪れました。そのスタジオで、彼のキッチュなフォトコラージュ作品が強いパワーをもたらす経緯について、リュウ・クンユウ本人によるプレゼンテーションが行われ、より一層の理解を得られました。

チュア・チョンヨン(Chuah Chong Yong、1972-)は、アートスペースでもありスタジオでもあるルマ・エア・パナス(Rumah Air Panas)を運営する主要メンバーです。チョンヨンは2000年代の半ばはまだ積極的には活動していませんでしたが、時間のあるときに作品を制作していました。私たちは彼のスタジオで会い、一緒に彼のアーキビスト的な傾向や、その指針をよく理解するためにカギとなる過去の作品への鋭い見解をたどっていきました。その指針は、共有された記憶に関与する彼の試みを強調するものでした。また幸運にも、彼の過去の作品や関連性のある作品を記録した無数のスライドや、師であった故ジョセフ・タン(Joseph Tan、1941-2001)の家族が彼に預けた新聞の切り抜きをまとめたフォルダーも同様に目にすることができました。

オウ・ソウイー(Au Sow Yee、1978-)は第3回KLEX (Kuala Lumpur Experimental Film and Video Festival)の共同創設者であり、共同キュレーターでもあります。彼女の最新作「Kris Project」は包括的なリサーチと、イメージメイキングや権力の背後にあるメカニズムへの探求によるものです。私たちは、彼女が台北との間で頻繁に行き来しているクアラルンプールで会いました。彼女はもうすぐ亞答屋84號圖書館(Rumah Attap Library and Collective)を開館する予定です。私たちは「Kris Project」で表現される、冷戦やナショナリズム、映画、フォークロアなど、歴史的な結びつきにおけるそれぞれの要素について、彼女に語ってもらいました。

私が美術業界にかかわる以前からマレーシアにかかわってきた人もいれば、初めて訪れた人もいる、専門性の異なるキュレーターチームに対して、私は今回の調査をファシリテートしました。この経験は、感情上の距離感とともに、身近なアートとより広域なアートについての私の理解を刺激し、広げることになる対話を私にもたらしました。

チュア・チョンヨン(1972-)

2016.09.27

喜田 小百合

1972年クアラルンプール生まれのチュア・チョンヨンは、戦前の記憶や残された家など失われた文化の視覚化を主なテーマにしたパフォーマンスやインスタレーションを発表しています。スタジオに掛けられていた《Meditation Painting》(2008-)は、師であるジョセフ・タンが2001年に亡くなったときにチュア・チョンヨンに託した、全長4メートル以上にもなる五連キャンバスを用いた作品です。ジョセフ・タンは第1回シドニービエンナーレ(the 1st Biennale of Sydney、1973)にも参加したマレーシア現代美術黎明期の作家であり、このキャンバスをどうするべきか思案したチュア・チョンヨンは、2008年からキャンバスの表面に線香を焚いて瞑想をするという行為を開始しました。よく見ると表面に残されたグリッド状の焦げた跡は、瞑想した際にお香が焚かれた痕跡で、現在も継続中のためキャンバスは半分以上まだ何も手が加えられていません。第2回福岡アジア美術トリエンナーレ(the 2nd Fukuoka Asia Art Triennial、2002)に参加した際は、お香で作った数十もの家を円状に並べて燃やし、その内側に隠された構造体の部分を残して燃えたお香の灰を集めるというインスタレーションを発表しました。

イルハム・ギャラリー
「マハティールの時代」展

2016.09.27

喜田 小百合

イルハムタワー(Menara Ilham)内の3階から5階にかけて位置するイルハム・ギャラリー(Ilham Gallery)では、展覧会を含むすべてのプログラムならびに併設されている小規模なアートライブラリーが無料で公開され、ヴァレンティン・ウィリー(Valentine Willie)がディレクターを務めています。訪問時に開催されていた「マハティールの時代」展は、1981年に就任した総理大臣マハティール・ビン・モハマド(Mahathir bin Mohamad、1925-)の政権時代(1981-2003)に起こった都市の発展やメディア改革をテーマとしていました。マレーシア美術において「マハティールの時代」は社会状況を代弁するものとしてアートが興隆した重要な時代でもあり、アーティストたちは当時のソシオポリティカルな問題と呼応しながら制作活動を行っていました。今回の調査でスタジオを訪れたチュア・チョンヨンやリュウ・クンユウ、前回の調査でインタビューをしたイー・イランや ファイヴ・アーツ・センターのアーティストらが参加し、またイセといった若手作家の最新作から、イスマイル・ザイン(Ismail Zain、1930-)やズルキフリー・ユソフ(Zulkifli Yusoff、1962-)といったマレーシア美術史における金字塔的作品まで幅広く紹介されていました。マレーシアの歴史を多層的な視点から読み解く本展では、当時の複雑なリアリティに触れることができました。

リュウ・クンユウ(1960-)

2016.09.28

米田 尚輝

1960年生まれのアーティストで、クアラルンプールを基盤に活動しています。ナショナリズムやアイデンティティにまつわる問題を、絵画や立体、インスタレーションなどさまざまな表現方法によって掘り起こしています。その一方で、マレーシアの文化遺産や地域社会との協力によって達成されるコミュニティプロジェクトも多数手掛けています。代表的シリーズ〈私の国への提案〉(Cadangan-Cadangan Untuk Negaraku、2009)は、写真やプリントを何層にも重ね合わせた半立体的な巨大な作品で、横幅は5メート以上にもなります。たとえば、このシリーズのうちのひとつの作品は、マレーシアのパブリックな野外彫刻ばかりを撮影した写真群をコラージュすることで、それらイメージ群を文字通り増幅させて、独特の都市のイメージをつくりあげます。もともとはグラフィックデザインを専攻しており、作品には随所にその影響が色濃く反映されていることを見て取ることができるでしょう。

オウ・ソウイー(1978-)

2016.09.28

米田 尚輝

1978年マレーシア生まれのアーティストで、映像を中心としたインスタレーションを制作しています。台湾の中国文化大学(Chinese Culture University)を卒業後、アメリカのサンフランシスコ芸術大学(San Francisco Art Institute)でM.F.A(Master of Fine Arts、修士号(美術))を取得しています。しばらくのあいだ台湾で活動した後、現在ではクアラルンプールを基盤として活動を続けています。ドキュメンタリーとフィクションを混ぜ合わせたような手法の映像を用いて、冷戦後のイデオロギーによって支配された政治の問題を拡張しつつ、マレーシアならびに東南アジアの歴史を再考します。アジアを中心とした個展やグループ展で積極的に作品を発表しており、日本でも2016年にトーキョーワンダーサイト本郷で開催されたグループ展「柯 念璞「旗、越境者と無法地帯」」Ko Nien-Pu "Flags,Transnational - Migrants and Outlaw Territories")に参加しています。見逃していた、あるいは見ることができなかった歴史のひとつの側面を、独特の手法の映像によって浮き彫りにすることができる映像作家です。

Special Thanks

オウ・ソウイー | Au Sow Yee
九貝 京子 | Kyoko Kugai
ジャーファル・イスマイル(ジェフ) | Jaafar Ismail (Jeff)
チュア・チョンヨン | Chuah Chong Yong

プーディエン | Poodien
堀川 晃一 | Koichi Horikawa
リュウ・クンユウ | Liew Kung Yu
レイチェル・ジョセフ | Rahel Joseph

Research