調査:シンガポール 01

シンガポール

2016.01.21 - 01.23

3か国連続調査の1か国目は、前年に独立50周年を迎え、同時に初代首相を亡くしたシンガポールでした。空港から街の中心へ向かう際に訪問者を迎える景観が、東南アジア域内におけるシンガポールの存在感を物語っています。国立美術館が新しく開館、東南アジア最大のアート・フェア、アート・ステージ・シンガポールも開催中だったため、この小さな都市国家に多くの美術関係者が集まり、活気をもたらしていました。そのチャンスにキュレトリアル・チームは様々な作家と会い、多彩な作品を目にすることができました。

  • ヴェラ・メイ
  • オン・ジョリーン
  • 近藤 健一
  • 片岡 真実
  • 米田 尚輝

シンガポール国立美術館

2016.01.22

近藤 健一

2015年11月に開館したシンガポールの国立美術館。東南アジアの近現代美術作品約8,000点を所蔵し、面積は64,000平方メートルにおよぶ地域最大の美術館。建築は、英国統治下の1929年に竣工の旧市庁舎と1939年竣工の旧最高裁判所の2つを改装し、1つの美術館に統合したもので、シンガポールが東南アジア美術界のハブとなることを目指した、意欲的な美術館です。開館記念展は、19世紀から今日までのシンガポール美術作品を展示した「あなたの名前は何ですか?」展(Siapa Nama Kamu? Art in Singapore since the 19th Century)や、東南アジア美術の19世紀以降の作品約400点を展示した「宣言と夢の間で」展(Between Declarations and Dreams: Art of Southeast Asia since the 19th Century)など。後者は「権威と不安(Authority and Anxiety: 19th Century to early 20th Century)」「国と自身を想像する(Imagining Country and Self: 1900s to 1940s)」 「国家を明白にする(Manifesting the Nation: 1950s to 1970s)」「美術を(再)定義する(Re: Defining Art: 1970s and After)」という4つのテーマに基づき、近代化、被植民地化と独立といった政治的・社会的変化に呼応して生まれた地域に根ざす美術表現をほぼ年代順に追う内容でした。

アマンダ・ヘン (1951-)

2016.01.22

近藤 健一

1980年代より活動を開始しパフォーマンスも行うシンガポール人女性アーティスト。欧米のフェミニズムの言説を再解釈し、男性中心主義的なシンガポール社会に異議申し立てを行う作品も制作しています。1999年に福岡アジア美術館の招聘で同地に滞在制作、日本国内美術館4館を巡回した「アジアをつなぐ-境界を生きる女たち 1984-2012」展(2012-2013)にも参加するなど、日本でも比較的知られている作家です。展覧会のキュレーション、ワークショップやパブリック・フォーラムの企画も行っています。訪問時にシンガポール国立博物館で開催されていた「あなたの名前は何ですか?」展では、《シンガール》(Singirl、2000)や《歩こう》(Let’s Walk、2000)などの映像作品や、写真シリーズ〈もうひとりの女〉(ANOTHER WOMAN、1996 -1997)などの作品が展示されていました。この〈もうひとりの女〉は、作家が母親と抱擁を交わすなど2人のパフォーマンスを写真に収めたものです。中国系の家父長制的な一家の中、母との関係が疎遠であったことに気づき、母との関係をもう一度築きあげるべく行ったプロジェクトで、アマンダ・ヘンの代表作のひとつとなっています。

NTU CCAシンガポール

2016.01.22

近藤 健一

南洋(ナンヤン)理工大学が(Nanyang Technological University)2013年10月に開館した現代美術センター(NTU Center for Contemporary Art Singapore、CCA)。企画展を定期的に開催するほか、アーティスト・イン・レジデンスや教育プログラムも行っています。館長はドクメンタ11 (documenta、2002)の共同ディレクターを務めたウテ・メタ・バウアー(Ute Meta Bauer)。訪問時はアメリカ人ベテラン作家ジョーン・ジョナス(Joan Jonas)の個展が開催されていました。2015年ヴェネチア・ビエンナーレ米国館での展示を再構成したもので、作家がヴェネチアで行ったパフォーマンスの記録映像なども追加されていました。CCAがあるアート・コンプレックスのギルマン・バラックス(Gillman Barracks)には、画廊が多数あり、日本からもミヅマアートギャラリーとオオタファインアーツが支店を構えています。この日は、シンガポールで毎年開催されているアートフェア「アート・ステージ・シンガポール」(Art Stage Singapore)の開催にあわせ、ギルマン・バラックス全体が夜間開館し、イベントなどが行われ賑わいを見せていました。CCAはレジデンス作家のオープン・スタジオを行い、横浜トリエンナーレ2008(2008)にも参加のインドネシア人作家ジョンペット・クスウィダナント(Jompet Kuswidananto、1976-) や、「他人の時間」(2015-2016)にも参加したサレ・フセイン(Saleh Husein、1982-)などが滞在していました。また、CCAでは国際舞台芸術ミーティング in 横浜 2016 (TPAM 2016)にも参加したシンガポール人作家ホー・ルイ・アン(Ho Rui An)にも会い、インタビューを行いました。

ルー・ツィーハン(1983-)

2016.01.23

米田 尚輝

シンガポールを基盤にして、映画制作、俳優、パフォーマンス、ダンスと幅広いジャンルで活動するアーティスト。ルー・ツィーハン(Loo Zihan)は、セクシュアルマイノリティーの主題を作品で取り上げる数少ないアーティストのひとりです。シンガポールで同性愛は、ますます発言力を強めている保守層 からは非難されており、タブー視されている主題です。共同監督でありなおかつ俳優としても出演している2007年の映画『Solos』は、釜山国際映画祭や第23回トリノゲイ&レズビアン映画祭で高い評価を受けました。2012年にシンガポールのオルタナティヴスペースのサブステーション(The Substation)で行ったパフォーマンス《Cane》は、タイ出身のアーティストであるジョセフ・ン(Josef Ng)がかつてシンガポールのパークウェイ・パレードで行ったパフォーマンス《Brother Cane》を改編したものでした。当時、《Brother Cane》は過剰に猥褻であるという理由で議論を引き起こし、結果としてジョセフ・ンは1994年から2004年までの10年間パフォーマンスアートを行う権利を剥奪されました。ルー・ツィーハンはこの歴史的事件を再演するようなかたちで《Cane》を制作しました。これは同性愛という主題によって引き起こされた検閲と、パフォーマンスの再現にともなって浮上するドキュメンテーションの問題を取り込んだ極めてアクチュアルな作品だと言えるでしょう。

バニ・ハイカル(1985-)

2016.01.23

オン・ジョリーン

アーティストであり作曲家、そしてテキストと音楽を用いるパフォーマーでもあるバニ・ハイカルの実践は、アートから音楽、音、パフォーマンス、演劇、詩、そしてリサーチにまで横断し、これらが相互に影響し合っています。彼のリサーチは、シンガポールと周辺地域におけるジャズというジャンルの歴史や、そのさまざまな影響の背景にある演奏の政治性を調べることによって、ジャズを筆頭とする音楽に関する私たちの理解に問いを投げかけるものです。シンガポール初の独立系アートセンター「サブステーション」のアソシエート・アーティストとしての2年間では、「リシンキング・ミュージック(Rethinking Music)」という進行中の調査を進展。NTU CCAシンガポールでのレジデンスの間にはこの路線の探求を継続し、文化面における東西冷戦についての調査を行いました。バニ・ハイカルのアプローチは、強い実験精神と社会史に対する敏感な感性に満たされたものです。新たなコラボレーションの方法を絶えず模索していて、総合性の強いパフォーマンスに重点を置く「オフカフ(Offcuff)」やサウンドペインティング楽団「エリック・サティ・アンド・カンポン・オーケストラ(Erik Satay & The Kampong Arkestra)」に参加。作曲家兼パフォーマーとしては、《Ten Thousand Tigers》などで知られるシンガポール人アーティストのホー・ツーニェン(Ho Tzu Nyen, 1976-)やシンガポールのダンスカンパニー「T.H.E Dance Company」、劇団「ネセサリーステージ(The Necessary Stage)」と共同制作をしています。バニ・ハイカルはエクスペリメンタル・ロックのバンド「Bカルテット(B-Quartet)」の設立メンバーでもあり、かつてはアート・ロックバンドとして多大な影響力を持つ「オブザバトリー(The Observatory)」にも参加していました。展覧会や芸術祭の参加実績には、2013年から14年にインドネシア、マレーシア、フィリピン、日本の4か国で開催された「Media/Art Kitchen」、2014年にインスティテュート・オブ・コンテンポラリーアート・シンガポール(Institute of Contemporary Art Singapore)で開催された「SOUND: Latitudes and Attitudes」、インドネシアで開催された「RRREC FEST」が含まれます。2013年にはシンガポールのYoung Artist Awardを、2015年にはPresident’s Young Talent Awardを受賞しました。

シャーマン・オン(1971-)

2016.01.23

米田 尚輝

シンガポールで活動する映像作家、写真家、ヴィジュアルアーティスト。フィルムコレクティヴ13リトル・ピクチャーズ(13 Little Pictures)の設立メンバーで、かつてはサブステーションのアソシエイトアーティストでもありました。2009年にはヴェネチア・ビエンナーレのシンガポール館、そして2014年には第5回福岡アジア美術トリエンナーレにも参加するなど国際的に活躍しています。シャーマン・オン(Sherman Ong)は、東南アジアにおける移民や植民地の問題から派生する国境線、多様性、アイデンティティ、異種混交性といった問題に関心を寄せています。なぜなら彼自身がプラナカン(=中華系移民)というマイノリティの存在であるからで、また当然のことながら「中国(人)」の概念は自分にとって重要であり続けていると語ってくれました。多民族国家とは言うものの、マレーシアやシンガポールが多文化な国であるというのは表層的な姿で、実のところその統治はアイデンティティを巡った政治 にみちており、かつて中国人はシンガポールで生活する術を探す際、苦境に陥っていたそうです。移民者の生活が描かれた2009年の《Flooding in the Time of Drought》は、こうした彼の姿勢が明瞭に反映された作品だと言えるでしょう。

リー・ウェン(1957-)

2016.01.23

米田 尚輝

シンガポールのパフォーマンスアーティスト。銀行員を経て1988年にラサール-SIA 芸術大学(LaSalle-SIA College of the Arts)に入学し、タン・ダ・ウ(Tang Da Wu)、アマンダ・ヘンらと親交を結んでいました。タン・ダ・ウが1988年に設立したアーティストグループ、ザ・アーティスト・ヴィレッジ(The Artist Village)のメンバーでもあります。ロンドンに留学中の1990年にパフォーマンスと出会ったリー・ウェンは、黄色い塗料で自身の身体をくまなく塗るパフォーマンスシリーズ〈Yellow Man〉で最もよく知られています。そしてこのパフォーマンスは、《Journey of a Yellow Man》というタイトルでインスタレーションの作品形式に変換されます。このシリーズで一躍世間の注目を集めることになったリー・ウェンは、1995年に光州ビエンナーレ、1999年に第3回アジア・パシフィック・トリエンナーレに参加し、活動の場を国際的に広げていきました。また日本との関係も深く、1994年には福岡市美術館で開催された第4回アジア美術展で《イエローマンの旅No.5:自由への指標》(Journey of a Yellow Man No.5: Index to Freedom)を披露しており、武蔵野美術大学でもパフォーマンスを行っています。現在は、シンガポール中心部にあるインディペンデントアーカイヴを機能させるために尽力しています。

Special Thanks

アマンダ・ヘン | Amanda Heng
アンジー・シェ | anGie seah
コリーヌ・チャン | Corine Chan
サレ・フセイン | Saleh Husein
シャーマン・オン | Sherman Ong
シャビール・フセイン・ムスタファ | Shabbir Hussein Mustafa
ジューン・ヤップ | June Yap
ジュオ=リヤン・タン | Tan Guo-Liang
ジュネヴィーヴ・チュア | Genevieve Chua

シュビギ・ラオ | Shubigi Rao
ジョンペット・クスウィダナント | Jompet Kuswidananto
ズルキフリ・モハメド | Zulkifle Mahmod
バニ・ハイカル | Bani Haykal
ホー・ルイ・アン | Ho Rui An
マイケル・リー| Michael Lee
ユージン・セン | Yu Jin Seng
リー・ウェン | Lee Wen
ルー・ツィーハン | Loo Zihan
レイ・ランゲンバッハ | Ray Langenbach

Research