調査:シンガポール 02

シンガポール

2016.11.08 - 11.11

SEAプロジェクト最後の調査として、キュレトリアル・チームはシンガポールを再び訪問しました。この時期のシンガポールでは、第5回目となるシンガポール・ビエンナーレ2016が開催されており、2016年1月の訪問時よりもさらに活気に満ちあふれていました。キュレーターたちはアトリエやギャラリーを訪ね、都市国家における現代アートについて作家やギャラリストと言葉を交しました。また、ビエンナーレの各会場にも足を運び、東南アジアを中心とする世界各国から集まった作家の作品を視察しました。展示スペースの特性を活かし多様に表現された作品は鑑賞者の好奇心を刺激するとともに、キュレーターへも多くの示唆を与えたようです。

  • 武笠 由以子
  • オン・ジョリーン
  • 熊倉 晴子
  • 徳山 拓一
  • 米田 尚輝

アトラス・オブ・ミラーズについての
覚書:出現と消失

オン・ジョリーン

第5回シンガポール・ビエンナーレのタイトルは「アトラス・オブ・ミラーズ」(An Atlas of Mirrors)です。シンガポール・ビエンナーレは、2006年にシンガポールで開催されたIMF・世界銀行の年次総会と同時期に始まり、第1回の「信仰」(Belief)と第2回の「不思議」(Wonder)ではシンガポールの国立芸術協議会(NAC)によるオーガナイズのもと、東京・森美術館の館長、南條史生氏がアーティスティックディレクターを務めました。続く3回からはシンガポール美術館(Singapore Art Museum: SAM)のオーガナイズとなりました。今回のキュレトリアル・チームは、SAMの5人のキュレーターと、インドや中国、マレーシア、シンガポールから招聘された4人のキュレーターによって構成され、スージー・リンガム(Susie Lingham)のクリエイティブディレクションのもとで協働しました。スージー・リンガムは、2013年8月1日から2016年3月31日までSAMのディレクターを務めたことでも知られるアーティストです。「アトラス・オブ・ミラーズ」は、それぞれに3つのキーワードあるいはキーフレーズが添えられた9つのコンセプトゾーンを通じて地域内外の共有された歴史と現代のリアリティーを探索するものです。SAMを中心に8つの場所で展開し、東南アジア、東アジア、南アジアの19の国と地域から63のアーティストとアーティスト・コレクティヴの作品を展示しています。東南アジア地域にフォーカスした前回から、キュレトリアルな問いかけはより大きな弧を描いています。世界と自分自身との関係について、私たちがどう捉えていけばよいのかを作品のなかに反映し導くことで、私たちの新たな世界を認識するため、俯瞰する地点として東南アジアを果敢に位置付けているのです。拡張し普遍化したテーマは時にあまりに大きく、困惑させられる印象を抱くかもしれませんが、黙想的でありながら壮観な作品をリズミカルに散在させた展示に沿っていくことで、開放的な体験を得ることができます。
特に、次にあげる3作品はビエンナーレのテーマにとても力強く共鳴しています。

1. ズルキフリ・モハマド(Zulkifle Mahmod、1975-)《SONICreflection》 (2016)

約200枚に及ぶありふれた中華鍋のふたで構成され、暗い部屋の中でふたを照明で浮かびあがらせることで、映画「トロン」(1982年製作)に出てくる超現代的なマシンのようにみせています。油にまみれたマシンの背後にいる移民労働者の存在こそがシンガポールだという、ポエティックな比喩のように思えます。このサウンドスカルプチャーは、シンガポールの様々な「ソニック・テリトリー(音波を発する地域)」での録音を活かした作品です。例えば、長年フィリピン人コミュニティにとって故郷となっているオーチャード・ロードのラッキープラザ、ビルマ人の商店が集まるペニンシュラプラザ、多くのベトナム人女性が働くジョーチアット、インドネシア人コミュニティに人気のゲイラン・セライ・マーケットのシティプラザなどで収録されました。

2. マーサ・アテンザ(Martha Atienza)《Endless Hours at Sea》 (2014・2016、左写真)

貨物船での4つの旅を記録した素材を用い、マーサ・アテンザは映像と音を投影する没入型のインスタレーションを発表しています。それらの映像と音によって、海上の旅での精神的・情感的な状態や鑑賞者の水との関係、人の移動について探検させる作品です。このアーティスティックな旅は、作家の両親がクルーズ船上で働いていたときに得たという個人的な体験です。しかしまた、彼女の同胞たち、世界の船舶業で働く40万人を超えるフィリピン人や、海外で仕事に就くため海を渡った「外国人労働者」という言葉で表される多くのフィリピン人たちの経験とも響きあっています。

3. ウィットネス・トゥ・パラダイス 2016:二リマ・シャイフ、プラニート・ソイ、アビール・グプタ、サンジェイ・カク」(Witness To Paradise 2016:Nilima Sheikh, Praneet Soi, Abeer Gupta & Sanjay Kak)

濃厚で静寂。「ウィットネス・トゥ・パラダイス」(Witness To Paradise)は、カシミール地方の風景のなかに刻まれた、記憶、心象、そして発された言葉の反響を思慮深くキュレーションしたプロジェクトです。1947年以来、同地域はインドとパキスタンの間の長い領土紛争に苦しんでいます。部屋の中央には、アビール・グプタの作品《The Pheran》(右写真)の刺しゅうを施した衣服が吊り下げられ、その近くのテーブルのプラニート・ソイのインスタレーション《Srinagar》は、パピエマシュ(張り子の材料)を素材としたタイルとスライドによってカシミールの物質文化を探索しています。《Srinagar》がカシミールへの複数の文化的影響を明確に示している一方で、《The Pheran》では、男性と女性が身に着けるひどく使い古された衣服がカシミールのアイデンティティーを象徴し、同時にこの地域で起きた紛争と変化の証として捉えられます。二リマ・シャイフのテンペラ画は、カシミールの詩人や建築家からインスピレーションを得ていて、破壊された美の本質に関する瞑想を生んでいます。部屋の反対側には、サンジェイ・カクがキュレーションした、5人のフォトジャーナリストの写真がカシミール周辺でよく使われる言い回しに揺さぶりをかけます。

シンガポール・ビエンナーレ2016
視察

武笠 由以子

シンガポール・ビエンナーレ2016は「アトラス・オブ・ミラーズ」と題し、シンガポール美術館を中心とした複数の会場にて、全63のアーティストとアーティスト・コレクティヴによる作品を展示するものでした。このなかにはサンシャワー展に出品する予定のアーティストも含まれています。そのため、アーティストやギャラリストたちとのインタビュー・出品交渉に加えて、ビエンナーレの会場で出品予定作家による作品を実際に見ることが、シンガポール出張の目的のひとつでした。ここではそのうち、アラヤー・ラートチャムルンスック(Araya Rasdjarmrearnsook、1957-)とティン・リン(Htein Lin、1966-)について紹介します。

アラヤー・ラートチャムルンスックはタイ出身のアーティストであり、2005年の第51回ヴェネツィア・ビエンナーレ(The 51st Venice Biennale)に参加するなど国際的に活躍しています。本ビエンナーレでは独立した広い空間の家具、調度品を配置し、全5面のスクリーンに映像作品を投影するインスタレーションを行っていました。室内に入ると細長い白い布が多数吊るされており、その間を進むと天井から吊るされたスクリーンが見えてきます。スクリーンの表裏両面に映像が映され、文字を書く人の手元と打ち寄せる波の映像が二重映しで現れるなど時間の流れと同時進行する複数の物語の重なりが示唆されます。動物たちや裸婦、運び出される棺などの光景によって、社会における女性の経験、生と死など、これまで扱ってきた問題を「アトラス・オブ・ミラーズ/鏡の地図」というビエンナーレのテーマを反映しつつ、新しい形で作品化することのできる作家であると再認識することができました。

ティン・リンは彫刻を施した石鹸を多数床に配置し、出身国であるミャンマーの地図を表すインスタレーションを行っていました。この作品は作家の代表作のひとつであり、サンシャワー展でも出品を予定していましたが、詳細な情報は未入手であったため、展示方法などを再考する機会となりました。実際にみてみると、この展示方法では想定よりも広いスペースが必要であり、至近距離での観察も、俯瞰による鑑賞のいずれもやや困難であると思われました。これを踏まえて、サンシャワー展では同作家によるドローイング作品群に重点を置き、石鹸の作品は規模を縮小し、異なる展示方法をとるよう方針を再考しているところです。ティン・リンは1988年の民主化運動への参加の後、逮捕・投獄された経験を反映し、石鹸の彫刻やドローイングなどを制作しています。ミャンマーの独裁政権と民主化運動、軍事的抑圧といった政治的な流れと活動家としての経験を表すこれらの作品を効果的に呈示することは非常に重要であり、当ビエンナーレ視察はサンシャワー展開催に向けての大きな一助となりました。

シンガポール・ビエンナーレ2016:
アトラス・オブ・ミラーズ

徳山 拓一

今回で5回目となるシンガポール・ビエンナーレは、東南アジアを中心に南アジアと東アジアを含む19か国から、58の作品とプロジェクトが出展され、シンガポール美術館をメインとする7会場に、9つのゾーン(小テーマ)のもと展示が構成されていました。

キュレトリアル・チームは、シンガポール美術館のスージー・リンガムがディレクターとなり、同美術館の5人のキュレーターと、インド、シンガポール、マレーシア、中国の各1人のゲストキュレーターの合計9人の編成でした。

本ビエンナーレの特徴は、新作のコミッションが多いことで、多くの作家が丁寧なリーサチや現地での滞在制作をベースにした作品、サイトスペシフィックな作品を発表していました。また、シンガポールや東南アジア史を題材にした作品が散見され、それらがビエンナーレ全体に一貫性を与えていました。

例えば、シンガポールの ズルキフリ・モハマドによる《SONICreflection》は、街でサンプリングした音を使ったサウンド・インスタレーションで、都市の喧騒を通して多文化主義や経済発展など、シンガポールの抱える重層的な問題を表現していました。また、タイの若手女性作家のパナパン・ヨドマニー(Pannaphan Yodmanee、1988-) による《Aftermath》(2016)は、コンクリート壁や仏像、その他の廃材を組み合わせた巨大な壁画のインスタレーションで、東南アジア史と作家個人の記憶や空想世界を対比させた大作で、見応えがありました。

ビエンナーレのタイトル「An Atlas of Mirrors」は、本展の概観とそこに潜む課題を言い当てています。「Atlas」 は「地図帳」を意味する集合名詞で、「Mirrors」 は「鏡」の複数形です。鏡は出品作品のメタファーで、それらが映すのは、作家や観客自身の姿、ひいては、個々のリアリティーやその対極にある虚像です。つまり、「An Atlas of Mirrors」とは、多面的に照らし合うリアリティーの写し鏡を意味します。さらに「Atlas」という言葉からは、指針を示そうする姿勢が窺えます。重要なのは、ここで提示されているのが1枚の地図ではなく、その集合体の地図帳であり、一貫した方向性が不在であることのステイトメントとも受け取れることです。それは、多文化主義の時代における、多民族国家であるシンガポールや東南アジアのありのままの姿を表しているといえるでしょう。

ディレクターのスージー・リンガムが、今回のビエンナーレのキュレーションを「フラクタル*」(Fractal)という言葉を使って表現するように、本展は、幾重もの自己相似を繰り返す、複雑なリアリティーの写し鏡なのです。一方でそれは、特定のテーマを掲げて企画される国際展の在り方や、そこに共通の課題があるかのようにキュレーションする方法論自体の、現代における困難さを表しているのかもしれません。

*フランスの数学者ブノワ・マンデルブロ(Benoît B. Mandelbrot、1924-2010)が導入した幾何学の概念。形の適宜な一部を取ってもそれが全体と似ている成り立ちをしていること。自己相似的。近似的なフラクタルな図形は、自然界のあらゆる場面で出現されるとされている。ref.Fractacal Foundation

Special Thanks

アンドレア・ファム | Andrea Fam
カイ・ラム | Kai Lam
カン・ヤヴス | Can Yavuz
コウ・グワンハウ | Koh Nguang How
シャヒーダ・イスカンダル | Syaheedah Iskandar
ジョイス・トゥ | Joyce Toh

スーザン・ビクター | Suzann Victor
ズルキフリ・モハメッド | Zulkifle Mahmod
ブルース・クェック | Bruce Quek
フレディ・チャンドラ | Fredy Chandra
リー・ウェン | Lee Wen
ルイス・ホー | Louis Ho

Research