SEAプロジェクト プレイベント
日本は東南アジアの現代美術にいかに関わってきたのか? シンポジウム パネルディスカッション(4/4)

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閉会の挨拶をする南條史生森美術館館長

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片岡

一般の方からも質問を受け付けたいと思います。後ろの席で手を挙げていらっしゃる方、どうぞ。

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質問

基本的なお尋ねになりますが、東南アジアのキュレーターの方々に2点お聞きしたいと思います。ひとつは、皆さんの国にモダンアートのオーディエンスが多く存在するのか。もうひとつは、日本のアーティストが、支援者や協力者としてではなく、個人として各国のアートシーンに参加し、現地のアーティストと恊働することは可能なのか、という質問です。

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グレース・
サンボー

インドネシアからきたグレースです。簡単にお答えしますと、モダンアートのオーディエンスは各国に大勢いますし、これは近年になって始まったことではありません。グーグルで検索していただければすぐにお分かりいただけると思います。そして、日本人アーティストが個人で現地のアートシーン内で活動することはもちろん可能です。実際にインドネシアでは多くの日本人アーティストが活躍していますし、ほかの東南アジア諸国も同じ状況だと思います。

(グレースによる後記:第1部のプレゼンテーション、第2部のディスカッションをとおして、東南アジア域内でも近代美術や現代美術の活動が盛んに行われていたことは明確であるにも関わらず、このような質問が出てきたことはとても皮肉なことだと感じました)

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マーヴ・
エスピナ

少し付け加えますと、日本・東南アジア間の個々のアーティスト同士の交流は、草の根レベルで特に80年代から始まっています。フィリピンについて言えば、バギオ国際アートフェスティバル(Baguio International Art Festival) とVIVA EXCONの影響により、アーティスト主導の交流が特に盛んになったのは80年代後半からでした。

また今日のパネルから、国際交流基金や福岡アジア美術館が行っている組織的な支援の仕組みと、NIPAFのような草の根レベルでのアプローチが見られましたが、いずれも様々なアートの実践や形態に対する支援と言えると思います。

パフォーマンスアートに関しては、東南アジアの多くのアーティストたちにとって、実験的なアートの実践への入り口となっています。まずはパフォーマンスアートから始め、そこから別の方法を探っていく――いわば、現代美術のボキャブラリーを増やしていくなかで、最初に経験するのがパフォーマンスアートだと言えると思います。それゆえ、霜田さんに助言を受けた作家が、その後より大きな、あるいは確立された組織に属するようになったことはごく自然なことだと思います。

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片岡

皆さんからもう少し質問を受けたかったのですが、時間がなくなってしまいました。来年7月の展覧会までにまたこのような機会をつくり、東南アジアのことを理解しながら展覧会づくりをしていきたいと思っています。ここに蓄積されてきた経験や知識を、どのように次の世代に継承できるのかと考えていますので、またいろいろな企画にお越しいただければと思っています。

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米田

最後に森美術館、南條史生館長より閉会のご挨拶をいただきたいと思います。

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南條

本日は興味深いご発表・議論をありがとうございました。私も国際交流基金に10年ほどおりましたので、当時のことを思い出しました。

アセアン文化センターは1990年に始まり、私はそのころは退職していましたが、そこで開催されていた企画展を見た記憶はあります。観客は少なかったですが、非常に意味のあることが始まったという認識はありました。それが徐々にかたちを変えて、しっかりとした歴史の糸を紡いできたと感じています。後小路さんのお話も、当時の様子が彷彿とさせられる内容でした。

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「アンダー・コンストラクション:アジア美術の新世代」総合展会場風景(東京)

国際交流基金のような団体、組織の財源が何なのかということで、ある面ではできることに縛りがあります。後小路さんが、「市の美術館がわざわざ外国に展覧会を持っていくことはできない」とおっしゃっていましたが、国際交流基金も基本的には日本の文化交流が目的なので、本来は日本の文化を外へ出すべきという議論もあります。そういった状況で「アンダー・コンストラクション」展の最初の構想をつくったときに――古市さんも横にいましたが――建畠さん(建畠晢氏)と考えていたことは、それまでの、「日本のものを持っていくか、海外のものを日本に持ってくる」という1対1の対応関係ではない、相互的なことができないかということでした。例えば、タイのキュレーターが周辺の国のアーティストを集めてタイで実施する展覧会に対しても支援をする、というように、違う国同士の間を繋ぐことを日本ができないか、という発想です。

一方で、当時、差異の主張(――アイデンティティ問題――)は非常に大きく、東南アジアのアートにおいては特に出てきましたが、それだけを焦点にしていいのかと思っていました。つまり、違いを言うだけではなく、一緒に何ができるか、何が共通のものなのか、これを考える必要があると思います。世界の政治情勢を見ると、差異の主張が過激化し、違う相手を排除するという風潮がありますが、これでは世界は成り立たない。アイデンティティを認めながらも、何をシェアできるかという議論をするべきで、そこで文化というのは非常に重要なプラットフォームになる。そういうことを、文化交流やアートの交流においてきちんとやっていくべきではないかと思います。

今日は過去の話もたくさん出てきましたが、過去の事例や議論がどれだけアーカイヴされているのか、歴史化されているのかという大きな懸念もあります。今日行われたような意義のある議論が記録に残り、多くの人たちに理解され、シェアされていく、ということも非常に重要だと思います。ご来場のみなさん、登壇者のみなさん、本日はどうもありがとうございました。

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米田

それでは、これをもちましてシンポジウム「日本は東南アジアの現代美術にいかに関わってきたのか?」を終了とさせていただきたいと思います。

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編集: 村上樹里(in between)、佐野明子(国際交流基金アジアセンター)
写真(シンポジウム風景): 御厨慎一郎
写真協力: 森美術館

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